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zoom RSS 果物ナイフから祈りへ・伸びた背中

<<   作成日時 : 2016/10/01 09:49   >>

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                                      反乱を起こした準首謀者の一部は生き残っていた。法要で90近いのに伸びきった背中が強烈だった。 未熟で視野が狭い面はあっただろう。しかし若くして精いっぱい体を鍛え、東洋の歴史の哲学、宗教を学び、歌をたしなんだものも多かった。本当に貧しい部下のことを心配し身銭を切っていた。彼らのほうが本歌取り意味が分かるだろう。本家の定家よりも。過去からの漢籍や万葉や物語、歴史の蓄積の上に、本歌をとり、心とイメージの創造をすることができる。そうでなければ、知的ブーム、たとえば表つらのみで民主主義、マルクス、ロマン主義等々に落ち込む。私のように。勇気はついてこない。
 日本の言葉を私よりもよほど先達から受け継いできたのだと思う。佐藤優は東ヨーロッパからプロテシタント、マルクス、民族学をへて日本文化に戻ってきている。でも迷子なのではないかといつも親近感を感じる。
 そしてあの果物ナイフで自決する勇気も起きえなかっただろう。すくなくともはじめは誤った勇気だったかもしれない、でも彼らは進化し、祈り続けたと思う。
 生き残った将校は、犯罪人のくびきをおいながら、学び直し、働き、社会を作り、そして、毎年あの寺で祈りをささげてきた。背筋を伸ばした老人の姿を思い出した。
  何が正しいかなんてわからない、科学だって理論は移り変わるデーターが出てきても、繋ぎ合わさった現存する理論体系はすぐに組み替えられるわけでもない。主観的なものともいえるし、文学だって主観的なものではなく人間普遍のものを扱う客観的なものかもしれない。 未完であること自覚して、姿勢を正して神に祈るしか今の私にはできない。

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